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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)2175号 判決 1978年4月27日

原告

斉藤伝兵衛

右訴訟代理人

下光軍二

外三名

被告

東京都

右代表者

美濃部亮吉

右指定代理人

大川之

外三名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

<前略>

二次に、原告が、別紙物件目録記載一の土地(以下、本件土地という。)について使用収益権限を有していたか否かについて判断する。

<証拠>を総合すると以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和二二年六月頃、訴外鈴木雄吉(以下、鈴木という。)から、本件土地の借地権の譲渡を受けたが、原告は、本件土地だけでは、建物を建築して利用するためには狭すぎるので、同年夏頃、本件土地の東北側に隣接する訴外荒井徳次郎所有の東京都豊島区西巣鴨二丁目一八八三番宅地の一部四〇坪も借り受けた。

2  原告が、本件土地について借地権を譲り受けた当時、本件土地の所有者は、訴外柳下金一であつたが、その後、本件土地の所有権は、同人から訴外服部修へ、さらに訴外森下一美(以下、森下という。)へ転々譲渡され、森下は、本件土地上へ、木造板葺掘立小屋一棟建坪五坪を築造した。

3  原告は、昭和二四年一月一〇日、本件土地の旧借地人である鈴木の名義で、森下に対し、本件土地についての借地権の確認、前記掘立小屋等の収去及び本件土地の明渡を請求する訴を提起し(当庁昭和二四年(ワ)第一二九号借地権確認並に掘立小屋取毀等請求事件、東京高等裁判所昭和二五年(ネ)第四二三号同控訴事件)、右訴訟においては、東京高等裁判所が、昭和二六年一一月九日言渡した判決において、鈴木が、本件土地について、堅固でない建物の所有を目的とする期間昭和二一年九月一五日から一〇年間の借地権を有することが確認され、さらに、森下は、鈴木に対し、本件土地上の前記掘立小屋等の収去と本件土地の明渡しの義務があることが認められ、右判決はその後確定し、昭和二七年末頃までに、強制執行がなされ、原告が本件土地の引渡を受けるに至つた。

原告が、右訴訟を鈴木名義で遂行したのは、鈴木でなければ、本件土地の新所有者である森下に対抗できないからであつた。

4  原告は、昭和二七年一〇月頃、本件土地の引渡を受ける前に、被告の第四復興区画整理事務所後に東京都第四区画整理事務所と名称が変更された。)へ、鈴木名義で本件土地上に建築する建物についての建築許可申請書を提出しようとしたところ、同事務所の係員から、本件土地は、東京都知事(以下、都知事という。)が、昭和二六年二月二七日東京都告示第一七六号をもつて、道路指定(以下、第一指定という。)をなしており、建築基準法に基づき建築制限がなされているため、原告が希望する計画建物の建築をこの時期に許可することは、できないので、被告の区画整理事業が終了するまで、原告の建築計画は延期するよう指導された。(右事実は当事者間に争いがない。)

5  原告は、その後、知合いの池田弁護士から、本件土地所有権が第三者に移転されると、原告が本件土地について有する借地権を当該第三者に対抗できなくなる場合がある旨の説明を受けたので、原告は、縁戚関係のある訴外堀口鋼鉄から紹介された、当時第四復興区画整理事務所補償課長をしていた訴外三田守道(以下、三田という。)、三田の紹介により知つた訴外小西一郎(以下、小西という。)などとともに、原告の借地権を保全する方法を検討した結果、六か月の期限付きで、建築下小屋として六坪程度の掘立小屋の建築許可をとつて、本件土地上に右建物を建築しておくこととし、右建築許可申請は、原告が鈴木名義で、その手続をすることにした。

6  原告は、昭和二八年四月頃、鈴木名義で右申請をなし、同年五月二二日、建物の存続期限は区画整理により整理施行者の命ずる建物移転又は除却の日までとし、かつ無償で移転又は除却することを条件として、本件土地上に、木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅兼事務所一棟建坪六坪を仮設建築物として建築する許可を受けて、右建物を建造し、昭和二八年五月二三日、所有権保存登記をした。その後、建増しにより右建物は建坪約一〇坪となつた。

7  原告は、昭和二八年七月頃、同年一一月頃及び同三三年四月頃と再三にわたり、東京都第四復興区画整理事務所を通じて、原告が、本来、建築を計画していた建物の建築許可を申請したのであるが、第一指定及び第二指定が本件土地についてなされていることを理由に許可されなかつた。

8  原告は、昭和二九年頃、内藤町の住居を売却したことにより、本件土地上への住宅建設の必要性に迫られ、本件第一指定の解除問題について、小西、三田などと相談をした。

なお、内藤町の住居を売却した後は、原告は、その家族とともに、前記6認定の建物に居住していたものである。

原告は、その頃、妻である斉藤房子(以下房子という。)、小西、池田弁護士らとともに、第四復興区画整理事務所の訴外平林恒雄所長のもとへ本件第一指定の廃止の申請に行つたところ、右平林所長は、道路指定地へ建物建築希望者は原告だけではなく、原告だけを特別扱いすると、土地区画整理事業の遂行上も支障が生じることが予想されるので、本件第一指定を廃止することはできない旨説明した。

9  その後、森下は、昭和三三年六月一四日、鈴木及び原告を被告として、本件建物収去本件土地明渡請求訴訟を提起した(当庁昭和三三年(ワ)第四六六四号建物収去土地明渡請求事件)。

10  右訴訟は、その後、調停に付され(当庁昭和三三年(ユ)第三九四号宅地建物調停事件)、結局、昭和三四年七月一〇日、前記当事者のほか、房子を利害関係人として、これらの者の間で、次のとおりの内容の調停が成立した。

(一)  鈴木及び原告は、森下に対し、昭和三六年一二月末日までに、本件建物を収去して、本件土地を明渡す。

但し、右期日前であつても、都市計画法による区画整理の実施により、東京都から本件建物の収去を求められた時は、期限の利益を喪失して、鈴木及び原告は、本件土地を直ちに明渡す。

(二)  森下は、鈴木及び原告に対し、(一)の立退及び移転料の支払に替え、本件土地のうち北側半分の部分の土地(区画整理後の面積一〇坪)を分筆して譲渡する。

(三)  鈴木及び原告は、右(二)の分筆譲受した土地部分について、房子に対し、所有権を移転し、森下は、房子に対し、右土地部分について、中間省略による所有権移転登記手続をする。

そして、房子は、右土地部分(分筆により東京都豊島区西巣鴨二丁目一八八四番三宅地12.66坪となる。)について、昭和三四年七月二七日、所有権移転登記を了した。

11  都知事は、昭和三五年七月八日、右土地の所有者である房子に対し、土地区画整理法第九八条第四項に基づき仮換地の指定をなし、同月二七日、右仮換地指定の効力が発生した。(右事実は、当事者間に争いがない。)

12  以上認定の訴訟の遂行、建築確認の申請等は、その大部分が鈴木名義で行なわれており、原告自身の名前は全く出て来ないが、実際には、鈴木は、原告に借地権を譲渡して以降これらの手続に直接関与したことはなく、原告が鈴木の名義を便宜的に借用していたものである。

三以上認定の事実に徹すると、原告は、少くとも昭和二七年一月以降、昭和三五年六月までの間は、本件土地について借地権を有していたものであり、被告も原告を本件土地の借地権者として取扱つていたと認められ、<る。><証拠判断略>

四ところで、本件第一指定は、当時施行されていた建築基準法第四二条第一項第四号に該当するものであり、同法第四四条により本件土地につき建築制限の効果が生ずるものであるところ、原告は、本件第一指定は、二年以内に都市計画法による新設又は変更の事業計画に係る土地区画整理事業が執行される可能性も予定もないのになされたものであり、違法である旨主張する。

<証拠>によれば、本件土地付近の土地区画整理事業の概要は次のとおりであることが認められる。<証拠判断略>

1  都知事は、建設大臣に対し、昭和二四年四月一六日付建区収第五四号をもつて、東京特別都市計画復興土地区画整理事業(第一三地区)(以下、本件土地区画整理事業という。)設計の認可を申請し、右申請は、昭和二四年五月二三日東都第四四号をもつて、認可された。

2  本件土地区画整理事業の施行目的は、昭和二〇年の戦災を契機として、従来の不規則な街郭を整理し、整然たる市街地を造り、乱雑なる道路を統制し、又、宅地の広さも適正化し通風採光等の条件を良好にし、宅地としての利用増進を計り、住み良き市街を造ること及び従来利用されなかつた土地を宅地化して市街地過密の状態を緩和する等の為、土地の交換分合、地目変換等を実施し、土地の利用価値を大ならしむることにあつた。

3  本件土地を含む国電大塚駅付近の土地は、被告の決定した都市計画において土地区画整理第一三地区として指定されており、右都市計画事業は、街路、緑地、区画整理等を内容とするもので、右建設大臣認可時には、既にその区域は決定されていた。

4  右決定された区域については、幹線は、昭和二一年三月二六日戦災復興院告示第三号をもつて、補助線は、昭和二一年四月二五日同院告示第一五号をもつて、それぞれ、街路決定の告示がなされ、また、昭和二一年八月一六日同院告示第一〇〇号をもつて駅前広場街路決定告示がなされ、昭和二二年四月二六日東京都告示第二六五号をもつて、区画整理区域の告示がなされた。

5  本件地区は、都心北西約六ないし七キロメートルの位置にあり、国電大塚駅を中心に、南東は、文京区に、南西は放射線八号を境に、西巣鴨一丁目に接し、北方は、巣鴨五丁目高台に沿つており、総面積は、三九万八、六三七坪に及んでいた。

6  本件地区の道路としては、鉄道北側に、大塚駅から北西へ二、三丁目の境界を走る谷端川改修道路(幅員一八メートル)があり、更に折戸通り(幅員一〇メートル)が駅前より北へ走つており、また、鉄道南側では、南方地区界に辻町より池袋に至る幅員一八メートルの道路、都電終点から都電沿いに幅員約一七メートルの道路、駅東側より氷川下方面へ延びる幅員一八メートルの道路等が主要なものであり、以上の外は、幅員三ないし六メートルの道路が大部分を占め、屈折部分多く、角切設備もなく、其配置も不整であつた。

7  右の様な状況に基づき、本件地区関係の都市計画街路は、南西の地区界にある幅員一八メートル道路(当時の府道第五号)を幅員四〇メートルに拡幅して放射線第八号路線とする幹線のほか、補助線、駅前街路などが計画されたが、右放射線第八号路線は、延長一三〇〇メートル、面積一万五七三〇坪に及ぶものであつた。

8  本件土地区画整理事業の工事施行は、総て、土地区画整理事業実施要領に準拠して施工するものとされた。

9  本件土地区画整理事業は、設計認可後一か月以内に工事に着手し、完了予定は工事着手後、三か年とし、施行年度割合は、初年度三〇パーセント、二年度四〇パーセント、三年度三〇パーセントと予定された。

10  また、本件土地区画整理事業の総事業費は、三億三八六一万五一七八円七二銭とされ、そのうち、区画整理事業費は、一億六九九五万三三六一円三二銭とされ、財源は、国庫補助一億三五九六万二六八九円五銭、起債三三九九万六七二円二七銭と見積もられていた。

11  昭和二五年三月頃、本件土地区画整理事業については、計画、事業及び執行年度割の変更がなされ、その執行は、昭和三四年度に完了するよう定められ、又、昭和三一年九月にも計画が変更され、前記都市計画街路放射線第八号路線の予定幅員も二五メートルに縮小された。

12  更に、都知事は、建設大臣に対し、昭和三二年六月四日三二建区換発第一一号をもつて、東京都市計画事業復興土地区画整理事業(第一三地区)の設計変更の認可を申請し、昭和三二年六年一三日、右申請は、建設省東計第一七五号をもつて認可された。

13  右設計変更により、幹線である放射線第八号路線は、幅員二五メートル、延長一一六四メートル、面積6353.7平方メートルに縮小され、その他補助線、駅前街路なども総じて縮小変更されたが、執行年度割については変更はなかつた。

14  本件土地区画整理事業の設計変更を必要とした理由は、区画街路の新設により宅地の合理的利用の増進を図るためと、換地計画の適正化を図るために区画街路の位置の変更を必要とするためであるとされたが、実態は、施行区域内の権利者の説得が容易でなく、かつ物価の上昇に伴い、当初の計画どおりに事業を進行させることが困難であり、道路予定地を縮小して収束を図る外なかつたためである。

15  その後も、本件土地区画整理事業は、計画を変更され、施行区域も一五万八六一二坪にまで減少し、ようやく昭和四一年五月頃、ほぼ完成の域に達した。

右認定の事実に徴すると、本件土地が含まれる第一三地区土地区画整理事業は、当初、建設大臣の設計認可後三年一か月内には工事完了の予定とされており、建設大臣の当該設計認可は昭和二四年五月二三日であり、本件第一指定がなされた昭和二六年二月二七日から二年内には工事完了の予定であつたが、その後の計画、事業及び執行年度割の変更により、その執行は昭和三四年度完了の予定とされたものの、この予定は、昭和三二年六月の段階においても変更されなかつたのであるから、本件第一指定がなされた昭和二六年二月二七日の時点においては、本件土地区画整理事業の執行予定は、達成可能と考えられており、都知事においては、本件土地を含む区域における事業を第一指定時から二年以内である昭和二八年度までに執行すべく、本件土地について第一指定をしたものと推認するのを相当とする。<証拠判断略>

もつとも、本件土地を含む区域における土地区画整理事業が本件第一指定から二年以内に執行されなかつたことは、前認定に徴し明かであるが、建築基準法第四二条第一項第四号所定の「二年以内に事業が執行される予定」とは、あくまでも予定であつて、二年以内に現実に事業が執行されなくとも差し支えないものであることは、その文言自体により明かであり、また本件土地区画整理事業の様な大規模な都市計画事業においては、施工区域内の多数の権利者との交渉において予想以上の時間が浪費され、その結果、計画全体が遷延されるに至ることは顕著な事柄であり、また、本件土地区画整理事業が執行されていた時期は、社会情勢は安定せず、非常な物価騰貴があつたことは公知の事実であり、以上のような事業自体の性格及び事業がなされた時期に照らし考えると、本件土地についての土地区画整理事業が、単に第一指定のなされた日から二年内に執行されなかつたからといつて、右事業が、執行される可能性がなく、都知事においてもそのように考えていたものと認めることはできない。

五また、原告は、本件土地付近には、幅員一八メートルの道路が既に存在していたものであるから、本件各道路指定は不必要なものであつた旨主張する。

なる程、<証拠>によれば、本件土地に接して幅員一八メートルの旧府道第五号線が西北から東南方向に走つていたことが認められる。しかし、旧府道第五号線を拡幅し、幹線である放射線第八号路線を築造する必要のあることは、前認定の本件土地区画整理事業の施工目的に徴し、明かである。

また、本件第一指定がその後廃止されたことは、前示のとおりであるが、約二年後第二指定がなされたことも前示のとおりであり、第一指定が廃止されたからといつて、第一指定が不必要なものであつたと速断することはできない。

そして、証人斉藤房子、同三田守道及び同小西一郎の各供述中、原告主張事実にそう部分は、たやすく措信できず、他に原告主張事実を認めるに足る証拠はない。

六請求原因4(三)の事実のうち、昭和三〇年五月一九日東京都告示第四八〇号をもつて本件土地について第一指定が廃止された(以下、本件指定廃止という。)ことが、原告に通知されなかつたことは、当事者間に争いがない。

原告は、第一指定の後、再三にわたり、第一指定の廃止を申請していたのであるから、被告は、本件指定廃止を原告に対し通知する義務があり、これを通知しなかつたのは違法である旨主張する。

しかしながら、都知事は、建築基準法第四二条第一項第四号に該当する道路指定をする場合に、被指定土地の権利者各自に、個別に、右道路指定を通知する法律上の義務を有していないのと同様に、右道路指定の廃止についても、当該土地の権利者に対し、個別に通知する法律上の義務は、有していないものと解するのが相当であり、また、右義務のないことは、原告が、本件第一指定の廃止を申請していたことによつて何ら左右されるものではなく、本件指定廃止の内容が一定の場所において関係人の縦覧に供されていたことは、弁論の全趣旨において明らかであるから、他に特段の事情の主張、立証のない本件においては、本件指定廃止が原告に通知されなかつたことをもつて違法であると言うことはできない。

七次に、原告は、本件道路指定処分又は、指定廃止の手続が適法であつたとしても、都知事の右処分又は手続により、原告の財産権が侵害されたものであるから、被告は、原告に対し、憲法第二九条第三項に基づき、損失補償をする義務がある旨主張する。

憲法第二九条第一項は、財産権の不可侵性を規定しているが、これも無制限のものではなく、その財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律で定めうることは同条第二項の規定するとおりである。

ところで、本件第一指定がなされた当時施行されていた建築基準法は、道路法又は都市計画法による新設又は変更の事業計画のある道路で、二年以内にその事業が執行される予定のものとして特定行政庁が指定したもののうち、幅員四メートル以上のものを同法第三章及び第五章の規定における道路として定義し(同法第四二条第一項第四号)たうえで、建築物又は敷地を造成するための擁壁は、道路内に、又は道路に突き出して建築し、又は築造してはならない(同法第四四条第一項本文)と規定している。

右道路指定が規定されている趣旨は、都市計画における道路は、未だ図面上のものに過ぎないため、都市計画法に基づく土地区画整理事業が進行するに伴なつて移転又は新築される仮換地上の建築物に、建築基準法所定の要件を道路との関係で欠くものが出るおそれがあり、これを回避するため、都市計画における道路をそれが現実に築造される以前において建築基準法上の道路とみなすこととしたところにあるのであり、右指定を受けた予定道路につき同法第四四条第一項本文により建築制限がなされるのは、近い将来において公道が築造されることが予定されており、建築物の建築等を認めることは、都市計画法による新設又は変更の事業計画に係る事業の執行予定に相応しないものであり、ひいては右事業の執行に支障を来たすおそれがあるからであると解するのを相当とし、右建築制限は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資する(建築基準法第一条)という建築基準法本来の目的を達成する一方法として規定されているもめと解すべきであつて、その結果、当該土地における土地所有者等の権利が制約されることになつたとしても、それは、当該土地所有者等が公共の福祉のために受忍すべき社会的拘束に基づくものであつて、土地所有権者等の当該土地に関する権利に当然内在する制約であると言うべきであり、当該土地所有権者等に特別の犠牲を強いるものではないと解するのが相当である。

更に、<証拠>によれば、本件土地に隣接する荒井徳次郎所有の原告の賃借地は、当時空地であつたのであり、本件土地の仮換地としては、右賃借地が予定されていたのであつて、原告において、戦災復興土地区画整理施行地区内建築制限令に基づき、本件土地につき仮換地予定地の区域指定申請をし、その区域指定を受ければ、仮換地指定前においても、仮換地予定地上に建築可能であつたのに、原告はこれをしなかつたこと、また、原告は、昭和二八年一一月九日、都知事に対し、右賃借地につき仮換地予定地の区域指定申請をし、同月二六日右指定を受け、同月三日、右仮換地予定地上に木骨防火造二階建居宅(建坪一四坪、二階坪一〇坪)の建築設計審査申請をし、同年一二月一八日合格と認められながら、これを建築しなかつたことが認められる。

従つて、原告の憲法第二九条第三項に基づく右請求も失当であると言わざるをえない。<以下、省略>

(山口繁 渡辺雅文 奥田隆文)

物件目録<省略>

別紙図面<省略>

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